それぞれ、震災後からずーっと継続されております団体様で、震災後7年を経ても未だ復旧もままならない金華山において、公的な支援が得られにくい宗教法人であるため、ボランティア様の活動は本当に有難く、継続されておられますことに、敬神の念に近い、感謝と感激、感動と尊敬の念があります。
忘れてはならない、福井県から単独でボランティア作業に従事されております上川さんの存在もあり、この日も滞在しておられましたため、上川さん主導の祈祷殿脇石灯籠の組み直し作業、金ぐい神社近くの石垣修復作業に、主に東松山チームが就かれ、this is a penチームと合同で、メインとなる表参道修復作業もかなりのところまで進めることが出来ました。!
表参道は降り口、登り切ったところに平成25年の巳歳御縁年大祭で奉納された狛犬が鎮座しております。
かつて(震災前)大祭の祭典では、ここに大幟を上げ、参道には小幟を飾り、初巳の御神輿もこちらを通ったものでした。
表参道修復にあたっては、何度も試行錯誤を重ねた上で、芝生を植えて行く試みに挑戦しており、ボーダーライン状に芝生を敷いて行くことで、雨の排水もとれ、根付けばやがて一面が芝生に覆われることとなります。
金華山の芝は、島の固有種で、ノシバとも言われ、いわば「金華芝」、塩害に強いということで京都の桂高校様も研究に訪れ、津波被災地の沿岸部各地にも植樹されている特別ものです。
その強さは、海であり山である金華山と、神話かのように神鹿が棲む鹿の食性との環境の中で培われてきたものに違いありません。
その強さが、ここでも試されることとなりました。
秋の台風、大雨にも何とか持ってほしいものです。
作業は、まず側溝を整備し、足りない土を入れて道路の勾配をとり、固めた上で芝生を並べ、さらに割り箸で芝生が動かないように固定する手順で、手際よく進められて行きました。
確か、2年前位のクラウドファンディング企画で、ここが最終目標とされていました。
それが念願叶って、ここまで来れています。
芝生が次々と敷かれていく様は、まるで夢を見ているかのようでした。
復旧復興の、遠かった夢も、いつか実現する時が来るのだ、と実感できた時でした。
しかし、時間の制約もあり、表参道約250メートルの半分を越えても、完成まで至ることは出来ませんでした。
それでもなお、この営みは今後とも続けられ、やがて完成の日の目を見る時が必ずやってくるものと、確信が持てます。
当初はこの赤鳥居の傾きを直したり、色を塗り直したりで止まっていました。
ここに至る開運橋という太鼓橋の、地震で崩れた石垣の補強が完了したからこそ、初めてこちらにようやく手を入れることが出来た経緯もありました。
復旧復興は、一日にしては成らず、いつでも、常に一歩一歩です。
でも今回は、極めて大きな一歩をまた進めることが出来ました。
いったいいつから、金華山は被害と復旧の歴史を繰り返してきたことでしょうか。
海に囲まれ、山の秀麗な形からそれはまさしくご神体山として崇められ、そしてそこに社殿が建てられ、厳しい自然環境の中でそれを桃源郷のように維持していくことは並たいていのことではなく、これまでの歴史の中でも、幾度もの困難は必ずあったはずです。
あの震災は、自然の厳しさを、凄まじい強さを、見せつけられたとともに、その物凄い強大な力の中でしか、私たちは生きられないことを否が応にも実感させられたことが、ほとんど唯一無二の教訓と考えます。
人間は学習します。辛い、痛い目に遭ってこそ、それを乗り越える術を身につけ、いつもの平和な日常を作り出します。
豊かな未来というものは、時間を越えて想像することが出来、こうすればこうなる、と幾らかでも読む力が人間に備わっているので、それを発揮することで、初めて可能となることです。
金華山は、以前、「南三陸金華山国定公園」でした。
それがいつの間にか、金華山の文字は消され、大きく「三陸復興国立公園」となりました。
この、「復興」の文字を冠された限りは、いち早く復興を成し遂げなければならないところですが、未だ多くの障害(ハードル)もあります。
後世に、この素晴らしい自然と信仰を、いかにして残せるか、ご来山頂きました方々がその良さを感じて頂き、神社職員のみならず多くの支援の輪が広がって行くことを、他力本願ではありますが、期待いたします。
そして復興と風化について、いわゆる震災の風化は、しかるべきして起きざるを得ないことと思います。
雨で道路の汚れが流されるように、自然の時間の流れの中で、自然のままに、きれいになったり、朽ち落ちたり、年季が入ったり、人体の傷が癒えて行くように、それはむしろ必要なこととも思えます。
傷は傷として残っても、そのときの記憶は残り、どうすればそうした傷を負わないで済むか、と考えるのが人間の営みです。
でも、往々にして人は忘れてしまいます。
それはでも日常を平和に過ごすためには、むしろ必要なことでもあるのです。
それでも、記録は、残さなくてはなりません。そうした記録を読み解くことで、人類はいくらか進歩してきたことでしょう。
かつて、伊勢湾台風の被害があった時に、東北人が助けたという記憶が口伝で伝承されて、東北の災害時に恩返しで助けて頂いた話もありました。
日本人は、そうした、同朋をいたわる、世界に誇れる民族です。
ボランティアさんたちの行動に、震災後、多くのことを学ばさせていただきました。
風化は必然、やむを得ないものですが、たとえば道路が、作られる過程に様々な工事の現場があったように、様々な現場の苦労があったはずです。
当たり前のものとして私たちは道路を通りますが、それはあくまでも人工物であり、利便をはかろうとして計画され、出来上がったものです。
そのまた昔、道路もままならない時代のことを思うと、先人たちの営みに感謝せざるをえず、あらためてそこでも自然との闘い、もしくは共生の考えが染みわたっていることを感じさせられます。
とにかくも、金華山の復旧復興は順調に未だ進められております。
震災7年、10年目で国の復興予算は終わり、後は自治体に委ねられ、めいめいで何とかして行くしかない状況です。
平成も31年で終わり、新しい元号がやがてやってまいります。
そのときこそ、本当の復興の姿を、お見せできましたら幸いこの上ないことです。
ちなみに、 鮎川港の港湾整備、ホエールランド等、船待合所お土産スペース一体型の建物が完了するのは、来年度の予定です。・・・
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午前9時、小渕浜実業団の皆さまによる獅子舞が大広間前にて奉納され、引き続き鮎川七福神舞保存会による七福神舞の奉納も賑やかになされました。
(震災以降、震災前と変わらず皆さま技術を保っておられる姿にいつも感涙です)
午前10時、平成30年初巳大祭神輿渡御・神霊代神輿奉遷祭が石の間にて斎行され、遷霊の儀が執り行われて、引き続き拝殿前にて神輿発輿祭が行われると、神輿渡御委員長の一本締めにより、いよいよ御神輿が動き始めます。
御神輿行列は道中祓いを先頭に、約100名が整列して、随神門脇の鐘楼の鐘が鳴らされる中、石階段を降り、大広間・旧売店前を御神輿が練り歩いてから長い参道をまた整列して降り始めます。
本年は特に、参道が今年ようやく完成したところから、震災後7年にして初めて稚児行列が桟橋まで下がるということとなりました経緯がありました。
復旧復興は、常に一歩ずつ、少しずつ、緩やかな時間の流れの中で、この僻地においても着実に歩んで、進んで来ているのです。
(本来は表参道を御神輿が通るのが習わしでした。今年、この日までの復旧は間に合いませんでしたが、来年にはもしかしたら、表参道を、震災後初めて御神輿と行列が渡れる日がやって来るかもしれません)
牡鹿半島各浜の皆さまのご協力によって、こうした神輿渡御も成り立って、実現可能となっております。
津波で被災された皆さまであっても、金華山の御神輿に関しては常に格別のご協力を頂き、宮司がよく「金華山を復興させることがここを心の拠り所とされている皆さまの励みになれば」と思って復旧復興へ努めていると言わくゆえんです。
金華山の海、そして山、そして神振り行事の御神輿行列は実に盛大な、一年に一度の厳粛な、賑わいの祭典です。
昨年8月、参道が石巻市に譲渡されて以来、復旧工事が進んだ上で、震災後、長年の悲願の完成の日の目を見たと思いきや、同年10月の台風被害で再び工事のやり直しとなってから、再度また再建された参道です。
自然災害が特に大きい昨今、対策と知恵を重ねて災害に強い道路づくりをして頂きました。
参道は、今や市道ですが、参拝者の通られる道であるため車の通行も不便なく行われ、また神社への物資のルートの確保にもなっております。
御神輿に乗られた神さまは、じっくりとこの新しく出来た参道を噛みしめて踏み歩きお乗せられ、お喜びになられたことでしょう。
諸々皆さまのおかげさまで、この日は全くの晴天でした。
初巳大祭・神輿渡御神事は、正午、桟橋御旅所において神輿御旅所祭が斎行され、その中で海潮祓いの特殊神事も行われて終了し、再び七福神舞の奉納も行われて、諸員昼食を食した後、行在所の休憩も経て一気にまた拝殿まで上がり始めます。
午後1時15分、拝殿にて神輿還幸祭が執り行われて、無事万端恙無く神輿渡御神事は終えました。
そして明くる5月7日午後3時、初巳大祭閉扉祭が拝殿にて当社独自の弥栄舞・琴の神楽奉納の上執り行われ、本年4月30日初巳大祭前夜祭から始まりました平成30年初巳大祭の一切の祭典諸神事を万端滞りなく終えることができました。
これらの祭典に関して、ご協力、ご奮闘頂きました、近隣含め関係者の皆さまに深謝申し上げますとともに、ご来山頂きました皆さま、またご遠方よりご支援頂いております皆さま、そして目に見えないご縁とつながりと、この祭典が恙無く行われたことを、誰よりも喜んでいらっしゃる神さまに、深く感謝申し上げます。
おかげさまでございました。
皆さま、有難うございました。
(御神輿、初巳を終えると、一気にまた境内が静かになるところが、まだまだ震災後、復興へは端緒についたばかりと感じざるを得ませんが・・・ 初巳の最重要神事を恙無く終えることができましたので、まずは安泰と、安堵しております。)
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5月1日本祭は無事盛大に終え、続く二日目も平日でも参拝者は多く訪れ、しかし5月3日だけは荒天のため全便欠航となってしまい、ご予約を頂いておりましたご参籠者の方々のみならずご参拝ご予定されておりました方々にご迷惑をおかけしてしまいました。
本日、5月4日中日、天候は雨のち晴れ、多くのご来山者がおられました。
ボランティアでVCを支援する会・押切様の後を継がれた東京都・初瀬保様チームもボランティアでご来山、見参いたし、巫女役として活躍されております。
風の旅行社他企画、金華山鹿角(ろっかく)プロジェクトの皆さまもご来山、見参頂き、この時期に落ちる鹿の角を拾って加工品を作る試みをして下さっています。
明日は初巳大祭第5日目の開扉祭が、午前6時半より御本殿石の間にて執り行われ、そしていよいよ明後日・日曜日の神輿渡御を迎える運びとなっております。
交響曲第四楽章で言うと、今はまだ第二楽章に当たるでしょうか、これから盛大な盛り上がりを見せ、フィナーレを迎えるのが初巳大祭です。
ご参拝の方々も、家族連れも多く和気藹々、賑やかにご参拝されているお姿を拝見しますと、金華山の復興も進んできていると感じ入ります。
船便が平日少ないために、完全な復興にはまだまだほど遠いですが、連休中、休日中だけでも、復興したかのような賑わいが見せられるのが感涙です。
拝殿は祭典用に装飾され、ご祈祷を受けられた方は全員、御本殿御開帳の儀にご案内される習わしなのが初巳大祭です。
そして御本殿御開帳の儀では、お正月七朝祭と違って、御本殿内陣の御簾も開けられるのが初巳大祭の醍醐味ですので、ご利益もさぞかし倍増かと思われます。
弁財天のお使いが巳であるところから、古くから行われているこの初巳大祭です。
そして、5月6日、日曜日には神輿渡御が斎行されます。
この日はまた一日中お祭りムードが否が応にも最高潮に高まりますので、是非とも近隣の皆さまお誘いあわせの上ご来山下さいますようご案内申し上げます。
船便は、鮎川・女川両港ともに増便される予定です。
詳しくは各船会社にお問い合わせ願います。
一年に一度の大祭典、是非とも盛大に盛り上がって頂きたいと願うばかりです。
八重桜は例年より極めて早く散ってしまいましたが、新緑の候、初巳大祭期間中の、神遊びに是非金華山にご来山下さいますよう、
ご案内申し上げます。
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弁財天に古くから由縁ある当社の、最重要儀の祭典です。
5月1日から7日まで、初巳大祭は一週間行われ、毎朝、雅楽の奏でる中、開扉祭が執り行われて、期間中のご祈祷を受けられました方全員が御本殿御開帳の儀にご案内されます習わしです。
今年は、桜が異様に早く咲いて、八重桜もすでに散り始めという異様な気象です。
写真は昨年のものです。
参道脇ヤマザクラがきれいに咲いています。
初巳大祭本祭は御本殿・石の間にて執り行われ、期間中日曜日の、5月6日には神輿渡御が行われます。
一年に一度の神さまのお出まし、桟橋まで神輿は下がり海潮祓いの特殊神事が行われます。
牡鹿半島各浜の皆様に、神輿渡御にご協力頂き、今年は、やっと昨年参道が完成しましたので、震災後初めて、稚児行列も桟橋まで下がる予定となっております。
震災7年、参道が完成するまでにも紆余曲折があり、ようやく日の目を見ることが出来ています。
金華山の海と自然、神輿と信仰、などを併せて想うと、この地域に、古くから大事に大事にされてきたものだと分かります。
震災7年、他の地域よりずっと遅れ、復興はまだやっと端緒についたばかりですが、一年に一度のこの盛大な大祭を、是非間近で味わって頂きたいものと存じます。
ゴールデンウィーク中、鮎川・女川両港ともに船便は増便されます。
詳しくは船会社にお問い合わせください。
金華山の1300年以上の伝統、初巳大祭が間もなく幕を開けようとしています。
たまたまゴールデンウィークとも重なり、ご家族皆さま近隣お誘いあわせの上、この良い季節に、どうぞ皆さま奮ってご参拝下さいますよう、ご案内申し上げます。
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現在、ソメイヨシノはすでに散り始め、石鳥居脇仙台枝垂れ桜がかろうじて見頃、受付脇他ヤマザクラや八重桜は後から来るのが常です。
ゴールデンウィーク、5月1日の初巳大祭本祭には八重桜が咲くころでしょうか?
5月1日から始まる初巳大祭は一週間斎行されますが、その中の日曜日、5月6日には神輿渡御が行われます。
その準備として御神輿を洗い、清掃する作業から行いました。
初巳大祭は神気溢れる重要な大祭です。
漆塗りの部分に潤滑油を撫でこむことで本来の輝きが増して行きます。
平成23年の山津波で被害に遭った表参道も、震災7年、ここに来てようやく復旧の体をなしてきました。
まだ不十分ですが、ご参拝者の方々が歩いて登る分には、十分な道となっております。
復旧は常に一歩一歩、歩んで行きます。
道路は、それが崩れたときは、大変な思いをしますが、直ってしまうとあたかもそれが当然で当たり前かのように通行し、捉えられます。
趣ある、綺麗な表参道を、早く完成させたいものです。
金華山は春の観光シーズンに入り、今週の土日(21日、22日)は天候も良く、そして来る4月30日前夜祭から始まる5月1日初巳大祭に向けて、準備が整えられて行きます。
「神遊び」、というわけでもありませんが、この良い季節に、是非「霊島」金華山にお参り頂き、霊山の霊気を頂いて、日頃の日常生活にお役立ち頂きましたら幸いでございます。
春たけなわ、そして金華山は最重要儀の祭典にやがて入って行きます。・・・
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去る1月吉日、東京都、?銀座・トマト様に祈祷殿内の真榊一対をご奉納頂きました。
3月になり、ようやく現物が出来上がって到着し、祈祷殿内にはすでに飾られております。
様々な多方面の篤志者のご奉納によって、神社調度備品は整えられていきます。・・・
金華山の鹿も、この暖かさで芝生が芽吹き始め、飢えに苦しむことからはようやく完全に解放され、時間帯によって場所を移動し、一生懸命毎日芝生の新芽を食べております。
金華山の桜は、例年仙台より2週間は遅れて咲くのが通常です。
今年、全国的に桜の開花は早く、東京ではすでに満開を終え、仙台では開花から今週末から来週にかけて見頃のようです。
金華山の桜はいまだまだつぼみから2分、3分咲き、土日で言えばおそらく14、15日か、21、22日辺りが見頃になるかと思われます。
今年、初巳大祭も例年より早いのですが、桜も何故かそれに合わせたかのように極めて早くなっております。・・・
表参道の修復を、ボランティアさんの熱意を起動力・原動力として、神社職員で進めております。
この場所は震災の年の9月の山津波によってすっかり流されて以来、修復のためにまず重機やダンプが通れるために、橋を直すことから始まって、震災7年、ようやく念願かなってこの進捗状況に手を付けられている現状です。
ここまで来るためにも、実に紆余曲折、様々な苦労がありました。・・
歴史深い金華山の、表参道を元のように修復しようという試みは、一筋縄では行かず、自然災害にも強く、参拝者が自然を楽しんで通れる趣ある道としなくてはなりません。
未だ埋め立ては途中ですので、ご来山・ご参拝の際にはご注意願います。
いったいいつから、金華山信仰は始まっているのか、たまに思うことですが、それは人類がこの周辺の地域に住み始め、この秀麗な山をご神体として崇めたことから始まっているという気がいたします。
(それは不可侵な思いです・・)
この島の、自然と信仰は、仮に世界遺産までは残念ながらいかないとしても、日本の遺産には必ず数えられるべきものでありまして、豊かな土壌を、四季を通じて巡り合える豊かな自然の姿を、是非日本全国各地の方々に、ご堪能頂きましたら、幸いこの上ないことと存じます。
黄金山神社、年間最も最重要儀の5月初巳大祭は、今年、暦上最も早く、5月1日に本祭が行われますので、何卒ご注意願います。
卯月、春の暖かさとともに、シーズンがやってまいりました。
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そしてほぼ一年かけて上げた足場資材等を今度は下す作業が待っており、3月16日、ご参籠された石巻山の会様や3月17日、18日一泊二日で来山されましたボランティアのthis is a pen 様、東松山チーム様総勢21名の皆さまに多大なご協力を頂き、祭典前日3月17日には、無事すべての資材を下げることができました。
金華山頂上まで445m、時間にしては片道一時間はかかる道のりを、資材の単管パイプ4m二本などを持って(しかも背負子に荷物を背負って)そのうえ二往復も三往復もされた姿には体力・精神力ともに敬服でした。
山道を歩くその姿は修験者の再現でした。
おかげさまを持ちまして3月18日は好天に恵まれ、残念ながら祭典の写真を撮ることは出来ませんでしたが、28名の参列のもと、無事滞りなく平成30年大海祇神社例祭は執り行われました。
春のお彼岸の入りの日であるこの日から、金華山は蛇が冬眠から目覚めるかのように、例年シーズンへと入って行きます。
そして震災7年を経た今でも、復旧作業は継続されます。
目下の課題は表参道修復で、土を埋め立て、それをならした上で固め、周辺の側溝を補修し、埋め立ては道路中央部分を高めにして勾配をとり、さらにその上に芝生を植樹し、芝生も動かないように細い木を打ち込み固定する、という工程で進んで行きます。
前回の作業は参道入り口から鳥居まででしたが、今回はさらにそれを伸ばし、もう少しで半分まで届こうとしております。
頂上作業を終えた上でのご奉仕、誠にお疲れ様でございました。
芝は、金華山固有種のノシバ(塩害にも強い金華芝)を、面積を考えてボーダーラインに階段状に敷くことにいたしました。
手作りの参道は、古来神社が参道には玉砂利など敷いて神さまにお会いするための気持ちを高めて行くための大事な過程として役割を果たしていたように、思いが詰められた素晴らしい道です。
作業直後の現在はこの状態を維持できておりますが、さらに先の上の埋め立てのために車が通ったり、雨が降ったりで芝生が変形しないように注意を払います。
表参道は約200mほどしかありませんが、10m、20mずつ進めて、やがてゴールに達成したい思惑と夢があります。
かつて大祭時にはこの表参道にも終点階段付近に大幟を立てて参拝者を迎えいれたものでした。
最後の石段を見ていると、悠久の歴史を感じ、また道中の杉の樹齢数百年の大木を見ていると、これから先も金華山は縄文杉のようにますます立派な木が育って行くことを感じます。
高齢の樹木は現代の我々のはるかに昔から眺めてこられた先輩であり、その長い命の力には、存在だけで英知を感じさせられます。
表参道修復、どこまで進むか、芝生の植樹時期は暖かい気候に誘われて、もうすぐまさに旬を迎えようとしております。・・・
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表参道修復が今回のメインでしたが、他に絵馬殿修復の仕上げ、頂上大海祇神社修復のための段取り、金光水参道の整備なども行うことが出来ました。
表参道は、震災の年の9月21日の山津波被害によりアスファルトが完全に流されてより、幾度かの整備はしておりますが、昨年10月23日の台風被害によりまた修復した個所が流されたりして、困難を極めております。そのため、この度は完全に修復する意気込みで土を固めた上に芝生を植樹しようという計画で行きました。
下の写真は修復前、ビフォーの状態です。
未だ悲壮感がどうしても漂ってしまいます。
そこへ参道修復工事で出た黄土色の土を敷き、山神組様にお借りしましたランマーで地面をならし、側溝も開通させて道路中央が勾配がとれて仮に水がながれても側溝に落ちるように設計し、その上に土が流れないように芝生を植えて行く段取りの行程です。
芝生は近くのかつて鶴が丘公園と呼ばれた場所からふんだんに植樹させて頂きました。
大きめの重機が未だ修理途中であるため、ミニユンボと軽トラックで土をピストンで運びました。
(ダンプ・重機が使えれば、もっと速く進んだことが悔やまれます)
それでも、作業は順調に進み、一日目で土の埋め立ては終わり、芝生の植樹を残すばかりとなりました。
芝生を植えなくても綺麗な道となりましたが、大雨などの水でまた流されてしまうことを危惧して、その上にやはり雨に強い(実は塩害にも強い固有種の)芝生(ノシバ、「金華芝」)を根付かせて参道を整備して行こうという計画です。
しかしこの芝生の植樹はその面積をそのまま移動する訳で、これは想像以上に大変な作業となりました。
鶴が丘公園は上空から見るとナスカの地上絵のような状態となりました。
それでも皆さま奮闘頂いて下さいました。
そして二日目、日曜日のお昼頃までには、目標の赤鳥居までの芝生の道が完成の日の目を見せ、後はコツコツト仕上げをして行くばかりとまでなります。
参拝者の方々は遠慮されて芝生の道を歩きたがらなかったご様子でしたが、これがこれからの道として、どんどん広げて、伸ばして行く道です。
果てしない作業ですが、工夫を重ねて、何とか完了させます。
今はまだ2月ですので、芝生も芽生える時期はまだあと一カ月はあります。
植物の生育も考えると、埋め立てを重ねて行き、4月、5月にはまたあらたな展開が待っているのではないでしょうか。
とにかくも、ここまで苦労されて見事埋め立てを完了されたボランティアの皆さまに感謝感激します。
復旧復興はいつでも一歩一歩、進むしかありませんが、この一歩はまた大きな一歩でありまして、灯された熱い情熱を、絶やすことなく進めさせて頂きます。
有難うございました。! またお疲れ様でございました。!
ご参拝者の皆さま方は、是非この出来立ての参道を不自由なく歩いてご参拝下さいませ。
参道アスファルト工事も期せずして完成まであと一息まで来ており、4月、5月のシーズンを迎える準備が、急ピッチで進まれています。・・・・・
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もともとは海上安全と先祖供養を祈ったものとして全国の各地の海上要地に建てられたもので、函館、佐渡島など6か所あるうちの一つが金華山です。
江戸時代のことです。
今や「子が安々と授かる」「子が安々と産まれる」「子が安々と育つ」という意味で、子安地蔵さまは多くの方から拝まれています。
その鎮座場所が分かりにくいとのことでしたので、このたび看板を新しく二枚新調して建てました。
これで分かりやすくなったかと思います。
今日は2月24日、明日の25日と一泊二日で、またしてボランティアでthis is a pen 様と東松山チームの合同で、復旧作業が進められております。
今回のメインはかねてからの懸案であった表参道にとうとうまた本格的に取り掛かり始めることが出来ました。
下の写真はまだビフォーの状態ですが、これがどう変化して、修復されていくか、お楽しみです。・・・
ローマは一日にして成らず、表参道の復旧も一日にしては成りませんが、ここは大事なところでもありますので、必ずしや成し遂げて行きたいところです。・・・
計21名の方々がご来山頂きました。!
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旧正月七朝祭は2月22日まで斎行されます。
旧正月元旦の日の2月16日は各地から崇敬者が訪れられ、境内は盛況となりました。
そして17日、祈年祭は、鮎川便が欠航とあって、残念でしたが、女川便は運航され、今年最初の大祭を恙無く終えることが出来ました。
写真は、ボランティアで来られておりましたVCを支援する会・押切さまの意志を継がれた、同じくボランティアで来られております初瀬保さまによるものです。
スタッフに徹するボランティアの精神はいつでもどの場面でも多大に生かされ、有難く、その知恵と行動力で様々なことが助かって行きます。
祈年祭は拝殿・石の間にて祭場が舗設されて、御本殿にて執り行われました。
浦安の舞が奉納されます。
祈年祭は、「としごいのまつり」とも読み、その年一年の農作物の豊作を祈願して行われたのが古い起源です。
「とし」という言葉自体、元来「稲」を意味し(一年は一回の稲の生育)、古来稲の出来栄えが生死にかかわる重要事であったため、このお祭りは秋に収穫を感謝して奉仕される新嘗祭と対をなして、わが国の非常に古くから、また極めて重要な意味を持って行われてきたお祭りなのです。
それゆえ、「大祭」として奉仕されます。
この度は、旧正月の暦とも重なり、五穀豊穣はより強く願われたことと思われます。
そして一年の始まりの大祭は、今年一年の活力・国力を祈る意味も重ねられて、変化してきてもいます。
よく神主は背中で語る、と教わられてきました。
真摯な祈りこそが神社の本分と本業です。
そして平成30年祈年祭は、無事滞りなく終えました。
期せずして、ピョンチャンオリンピックにおいて羽生結弦選手が金メダルを獲られましたが、平成30年は来る平成31年の改元に伴い、新しい元号が発表される年でもあり、わが国の国力の、真底からの増力を願う次第でございます。
東日本大震災からはやがて7年の節目を迎え、来るべき復旧復興への兆しへと、風向きが変わりまた大きな後押しがなされ、進みゆくことを願います。・・・
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こちらの元旦祭は一番祈祷を併合して執り行われますが、おこもりなされた方のみの参列となりますのでご注意ください。
2月16日、旧正月元旦、鮎川港からは臨時便が運航されます。
鮎川発 9:00 、 10:00 、 10:30 、 11:00 の4便です。
折り返し金華山発 11:30 、 12:00 、13:00 、13:30 となりますのでご注意願います。
「ホエール」もしくは「ドリーム」号にて運航する予定です。
2月17日(土)、祈年祭の日は、女川港より 11:00 発 折り返し金華山発 15:15 の便が運航されますので
こちらもご注目ください。
とにかくも、船便が出ないと参拝出来ないのが金華山となっております。
境内は雪景色も過ぎ、雪は次第に溶けてまいりました。
こちらは昨年の祈年祭の模様です。
祭典は常に厳粛に執り行われます。
本年は、テントも張られた石の間において今年初めての大祭を盛大に執り行います。
五穀豊穣他、今年一年の活力を祈念するお祭りでもあります。
浦安の舞が奉納されます。
旧正月は2月16日から2月22日まで旧七朝祭としてご奉仕され、ご祈祷を受けられた方は、また必ず御本殿御開帳の儀にご案内される習わしとなっております。
2月16日の旧正月元旦の鮎川船便、2月17日女川船便をご利用ください。
2月18日(日)も旧正月七朝祭期間中に当たり、御本殿御開帳の儀がやはり執り行われます。
立春正月を迎えたばかりかと思えば、この旧正月元旦、旧暦の暦は何かと深い意味があり、「新正は旧正の弟」と呼ばれるゆえんです。
この時期、正月は何度もやってきますので、あらためてのスタートを踏み出したい方にはもってこいの旧正月元旦です。
新正月同様に、準備を整えておりますが、この重みを考えると、やはり手抜かりなく入念に準備しなくてはなりません。・・・
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これはその時の写真です。
本日も雪が降り、山の上の方は同じ状況になっているかと思われます。
8合目付近、水神社付近の大日如来・金剛界の石像が並んでおります。
雪の社殿も景色としては良いですが、山の雪景色も味わいあるものです。
金華山山頂付近から大海原を眺める絶景に浴してまいりました。
はるか彼方はアメリカです。
2月3日午後2時半より、拝殿において節分祭が斎行されました。
立春の前日は大晦日に当たり、追儺の儀式も鬼やらいもすべて立春正月の観点に立っています。
金華山では、「鬼は外、鬼は外、福は内、福は内、天打ち、地打ち、四方打ち、鬼の目ン玉ぶっつぶせー」と威勢よく掛け声をかけるのが習わしです。
この掛け声は、山形、岩手、青森と東北地方で古くより唱えられてきた言葉のようです。
「天と地」、「四方」の辺りから陰陽五行説の影響を受けた修験の習わしの名残りが残っているのかと思われます。
そして2月16日には、旧正月元旦を迎え、続いて2月17日には今年最初の大祭である祈年祭が予定されています。
旧正月七朝祭は、2月16日の元旦から始まり、2月22日まで七日間、新正月と同様に、御本殿御開帳の儀が執り行われる習わしでございますので、お寒い中ですが、皆さま振るってご参拝下さいませ。
古くからよく、「新正は旧正の弟、旧正は新正の兄」と云われます。
厄払いなどお済でない方、新正月の初詣を逃された方、旧正月というのは古くから伝わる正月の迎え方の大事な行事の一つであることを、またあらためて思い起こしていただけることを願います。
暦によって、正月がいつか、本当の正月がいつなのか、それは容易く変わってしまうものですから。・・・
歳の始めをまた再現いたします。・・・
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写真提供はVCを支援する会ドヨン様と風カルチャークラブ竹嶋様によるものです。
年末、七朝祭に向けて石鳥居前に大幟を掲げました。
これがあると一気にお祭り気分が盛り上がります。
夕景で情緒あります。
表参道赤鳥居周辺は現在このようになっています。
今は積雪もありますが、この参道の修復は、今年5月神輿渡御までに、何とか形をつけたい目標であります。
正月3が日、震災以降最高の人出で、震災前にすでに到達しつつあるのですが、船を待つ行列も賑わい、お客様にとっては煩わしいことですが、この行列の風景も記憶に留めたくあります。
家族連れの方が多くいらっしゃいました。
圧巻は金華山頂上から見える初日の出です。
このご来光に浴された方々は、そうとう良い新年のスタートを切ることが出来たのではないでしょうか。
日光の力はすさまじいものがあります。
大日輪が海上から現れてくる姿は太古の記憶を呼び戻します。
こちらは前日大晦日の月光です。
月は太陽の光を受けてその姿を我々に見せますが、暗闇にともしびとなる月光は古くからいくつもの詩に詠われています。
殊に神社と月明りは情景豊かなものです。
風カルチャークラブ、VCを支援する会、総勢23名様に今年のお正月も助けて頂きました。!
皆さま金華山でのご奉仕を経て、良い新年のスタートを迎えられたでしょうか。
霊島金華山での過酷な任務を経て、それぞれの幸せにつながらむことが専らの気がかりです。
神さまは見ていらっしゃいます。
ご奉仕頂きました皆さま、のみならずもちろん、厳寒の中ご参拝頂きましたご参拝者の皆さまに今年一年の幸多かりますことを、大神様にあらためてお祈り申し上げます。
厳しい冬の後には必ず暖かな春がやってまいります。
やがて立春を迎え、年の暦が本格的に変わって、皆さまの新しい運勢が開けて行きます。・・・
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しかし恐れていたほどのものではなく、このくらいは例年並みです。
今回はせいぜい15センチ程度でしょうか、10年に一度か二度はこの2倍3倍行きます。
それでも今回の日本海側の積雪はさすがに世界一の量なので、全く比になりません。
備えも十分にされておられることでしょうが、それでも今回は特別でしょうか?
時にこうした寒波と積雪があることは、記憶に残るもので、様々な方々の教訓になれば、何とかの幸いです。
都心も雪国のあらゆる地域からすれば、その混乱を全国放送で流すのはやはりいかがなものかと思ってしまいます。
雪の情景は味わいもあり、雪かきは大変ですが、自然の現象に子供たちならずとも高揚感もあります。
市道となった参道のみならず、境内駐車場並びに参集殿前までも、工事滞在中の?丸本組様に除雪して頂きました。
ホイールローダーというのでしょうか、適切な重機で上手くきれいに、しかも速やかに除雪して頂き感謝感激です。
しかしながら明くる24日(水)、また雪が降りました。
軽く3センチほどでしょうか、それでもすぐに掃いておかないと低温により凍結してしまうので注意です。
(この辺りの迅速さが雪かきのポイントです。)
鹿たちは、雪に埋もれた生きる草木を探し出して食べ物を探し自分が生きるのにまさに必死です。
参拝客の方が来られれば、鹿餌ももらえるのですが、あいにくこの低温状況で海況も悪く、欠航続きで渡来者はいらっしゃいません。
それでもようやく希望の光も見え始めました。
25日(木)、今日は最低気温:零下5度、最高気温:零下1度という真冬日で、各所水道管が凍結しがちでしたが、何とか乗り越えています。
太陽の照りは、空気が低温でもその熱波だけで雪を溶かします。
拝殿付近、神池の水も表面が完全に凍っています。
荒天があれば平穏がある、その逆もまたしかりで、振り子のように揺れて行くのが自然と拝察いたします。
(それは小さく揺れれば望ましいのでしょうか?そうもいかないときもやはりあるのがまさに自然です。)
豪雪地帯の皆さまは例年のこと、慣れていらっしゃいますでしょうが、お身体には十分ご自愛下さいまして、このひと時の強烈な寒波をやり過ごして頂きましたらと願います。
明日から明後日にかけてこの状況は落ち着き、来週には平穏な冬に戻り、そしてやがて2月4日には立春を迎えます。
待ち遠しい春が、もう少しでいまそこにやって来てはいるのです。・・・
TBCラジオでは、寒さを吹き飛ばそうと、真夏の曲が流されていました。・・・
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ミズキの枝に紅白の餅を丸めて取り付け、年縄飾りと交換して各所に飾り、春を呼ぶ行事です。
古来、待ち遠しい春を迎えるに当たって様々な行事がありました。
一連の正月行事は立春の前日、節分祭まで続きます。
そして同日14日午後には境内駐車場においてどんと祭が執り行われました。
冬場、食べ物に飢えている鹿たちが竹の笹や、紙類も食べるために集まってくるのが毎年恒例です。
さらに1月20日(大寒)、21日の土日にはまたしても東京都よりthis is a pen 様11名がボランティア活動にご来山頂きました。
今回の作業は、元総代の三上さんが一人でこつこつとやられていた、昨年10月23日の台風21号被害に遭った登山道修復がメインとなり、他に頂上大海祇神社の足場資材上げと足場組みも行いました。
初日の夕方でこれだけ大きめの石を積みならし、今後また流されないための段取りが出来ました。
そして上から土をかぶせていき(ダンプが車検中で使用出来ず、重機も故障中のためミニユンボで軽トラックに詰め込み)、ならして行きます。
被害箇所の半分は進んだでしょうか、まだ難所があるので難しいですが、クラフトマン世田谷の白井さんには標識となる看板まで作って頂き、今後の計画の話し合いも含めて充実した内容となり、出来た部分はきれいに仕上がることができました。 !
そして本日22日には、午後3時半過ぎより報道で騒ぎになっております大雪がこの金華山の地においても降り始めました。
けっこうな量が断続的に降る見込みで、久しぶりの大雪になりそうです。
明日からしばらくは船も運休となり、島内は缶詰め状態となりますが、陸地の方々も明朝大変なことになっていることと想像されます。
良すぎた天気の後には必ず中和するかのように荒天が来る、というのが何となくの天気の法則のようです。
陰陽の原理でしょうか、それでも私たちは何とかそれを知りつつも対策を整えて、備え、大事に行動して行かなければなりません。
自然と付き合っていくことは、しょうがないと諦めつつも、必ず最善を尽くすことは出来ます。・・・
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