震災の復興と風化について
5月19日、20日、ボランティアで東京都よりthis is a pen 様34名、埼玉県東松山市を中心として東松山チーム様18名、総勢52名による復旧復興支援活動がありました。
それぞれ、震災後からずーっと継続されております団体様で、震災後7年を経ても未だ復旧もままならない金華山において、公的な支援が得られにくい宗教法人であるため、ボランティア様の活動は本当に有難く、継続されておられますことに、敬神の念に近い、感謝と感激、感動と尊敬の念があります。
忘れてはならない、福井県から単独でボランティア作業に従事されております上川さんの存在もあり、この日も滞在しておられましたため、上川さん主導の祈祷殿脇石灯籠の組み直し作業、金ぐい神社近くの石垣修復作業に、主に東松山チームが就かれ、this is a penチームと合同で、メインとなる表参道修復作業もかなりのところまで進めることが出来ました。!
表参道は降り口、登り切ったところに平成25年の巳歳御縁年大祭で奉納された狛犬が鎮座しております。
かつて(震災前)大祭の祭典では、ここに大幟を上げ、参道には小幟を飾り、初巳の御神輿もこちらを通ったものでした。
表参道修復にあたっては、何度も試行錯誤を重ねた上で、芝生を植えて行く試みに挑戦しており、ボーダーライン状に芝生を敷いて行くことで、雨の排水もとれ、根付けばやがて一面が芝生に覆われることとなります。
金華山の芝は、島の固有種で、ノシバとも言われ、いわば「金華芝」、塩害に強いということで京都の桂高校様も研究に訪れ、津波被災地の沿岸部各地にも植樹されている特別ものです。
その強さは、海であり山である金華山と、神話かのように神鹿が棲む鹿の食性との環境の中で培われてきたものに違いありません。
その強さが、ここでも試されることとなりました。
秋の台風、大雨にも何とか持ってほしいものです。
作業は、まず側溝を整備し、足りない土を入れて道路の勾配をとり、固めた上で芝生を並べ、さらに割り箸で芝生が動かないように固定する手順で、手際よく進められて行きました。
確か、2年前位のクラウドファンディング企画で、ここが最終目標とされていました。
それが念願叶って、ここまで来れています。
芝生が次々と敷かれていく様は、まるで夢を見ているかのようでした。
復旧復興の、遠かった夢も、いつか実現する時が来るのだ、と実感できた時でした。
しかし、時間の制約もあり、表参道約250メートルの半分を越えても、完成まで至ることは出来ませんでした。
それでもなお、この営みは今後とも続けられ、やがて完成の日の目を見る時が必ずやってくるものと、確信が持てます。
当初はこの赤鳥居の傾きを直したり、色を塗り直したりで止まっていました。
ここに至る開運橋という太鼓橋の、地震で崩れた石垣の補強が完了したからこそ、初めてこちらにようやく手を入れることが出来た経緯もありました。
復旧復興は、一日にしては成らず、いつでも、常に一歩一歩です。
でも今回は、極めて大きな一歩をまた進めることが出来ました。
いったいいつから、金華山は被害と復旧の歴史を繰り返してきたことでしょうか。
海に囲まれ、山の秀麗な形からそれはまさしくご神体山として崇められ、そしてそこに社殿が建てられ、厳しい自然環境の中でそれを桃源郷のように維持していくことは並たいていのことではなく、これまでの歴史の中でも、幾度もの困難は必ずあったはずです。
あの震災は、自然の厳しさを、凄まじい強さを、見せつけられたとともに、その物凄い強大な力の中でしか、私たちは生きられないことを否が応にも実感させられたことが、ほとんど唯一無二の教訓と考えます。
人間は学習します。辛い、痛い目に遭ってこそ、それを乗り越える術を身につけ、いつもの平和な日常を作り出します。
豊かな未来というものは、時間を越えて想像することが出来、こうすればこうなる、と幾らかでも読む力が人間に備わっているので、それを発揮することで、初めて可能となることです。
金華山は、以前、「南三陸金華山国定公園」でした。
それがいつの間にか、金華山の文字は消され、大きく「三陸復興国立公園」となりました。
この、「復興」の文字を冠された限りは、いち早く復興を成し遂げなければならないところですが、未だ多くの障害(ハードル)もあります。
後世に、この素晴らしい自然と信仰を、いかにして残せるか、ご来山頂きました方々がその良さを感じて頂き、神社職員のみならず多くの支援の輪が広がって行くことを、他力本願ではありますが、期待いたします。
そして復興と風化について、いわゆる震災の風化は、しかるべきして起きざるを得ないことと思います。
雨で道路の汚れが流されるように、自然の時間の流れの中で、自然のままに、きれいになったり、朽ち落ちたり、年季が入ったり、人体の傷が癒えて行くように、それはむしろ必要なこととも思えます。
傷は傷として残っても、そのときの記憶は残り、どうすればそうした傷を負わないで済むか、と考えるのが人間の営みです。
でも、往々にして人は忘れてしまいます。
それはでも日常を平和に過ごすためには、むしろ必要なことでもあるのです。
それでも、記録は、残さなくてはなりません。そうした記録を読み解くことで、人類はいくらか進歩してきたことでしょう。
かつて、伊勢湾台風の被害があった時に、東北人が助けたという記憶が口伝で伝承されて、東北の災害時に恩返しで助けて頂いた話もありました。
日本人は、そうした、同朋をいたわる、世界に誇れる民族です。
ボランティアさんたちの行動に、震災後、多くのことを学ばさせていただきました。
風化は必然、やむを得ないものですが、たとえば道路が、作られる過程に様々な工事の現場があったように、様々な現場の苦労があったはずです。
当たり前のものとして私たちは道路を通りますが、それはあくまでも人工物であり、利便をはかろうとして計画され、出来上がったものです。
そのまた昔、道路もままならない時代のことを思うと、先人たちの営みに感謝せざるをえず、あらためてそこでも自然との闘い、もしくは共生の考えが染みわたっていることを感じさせられます。
とにかくも、金華山の復旧復興は順調に未だ進められております。
震災7年、10年目で国の復興予算は終わり、後は自治体に委ねられ、めいめいで何とかして行くしかない状況です。
平成も31年で終わり、新しい元号がやがてやってまいります。
そのときこそ、本当の復興の姿を、お見せできましたら幸いこの上ないことです。
ちなみに、 鮎川港の港湾整備、ホエールランド等、船待合所お土産スペース一体型の建物が完了するのは、来年度の予定です。・・・
- 2018.05.20 Sunday
- 復興支援活動
- 18:33
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- by 金華山黄金山神社