神鹿慰霊碑奉遷

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     去る6月29日、午後4時より「神鹿慰霊碑奉遷清祓式」を神鹿慰霊碑前にて執り行いました。

     

     

     昭和57年建立されたこの慰霊碑の場所は、長年の風雨や地震・台風などの土砂崩れにより、石碑の存立が危うくなっており、石ごと海に落ちてしまう前にその移動が叫ばれるところでした。

     

     

     金華山の島はその形状が少しずつ削られて小さくなっている現状なのです。

     

     

     震災前はそれを防ぐための護岸工事の国家(?)予算もついておりました。

     

     

     灯台までの海沿いの道の修復なども、震災復興の最後の最後になることと予想されます。

     

     

     ともあれ、参道工事の最中であり、蟯殍楞藩佑僚典,島内にあるうち、とお願いをして全面的にご協力頂き、この作業が可能なこととなりました。

     

     

     海側すれすれに屹立する神鹿慰霊碑です。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     清祓の祭儀を行って、工事に臨みます。

     

     

     

     

     

     

     

     

     6月、7月、この季節は船の運航にとっては障害となるガス(霧)ですが、霊島にあっては幻想的な雰囲気を醸し出します。

     

     

     下の写真の奥手に見えるのは対岸の牡鹿半島の山並みです。霊玄です。

     

     

     慰霊碑はゴザなどによって保護され、作業は明くる6月30日、先ずは深さがどれくらいあるか掘ってみました。

     

     

     

     

     

     

     

     その深さが分かると、(1m70センチもありました)新しく移動する場所にそれだけの穴を掘り、埋める段取りが行われます。

     

     

     

     

     

     

     

     

     ところがここで障害が一つ、大きな石が埋め立て場所に鎮座しておりました。

     

     

     そこで重機のバケットをブレーカーに代えて、石を砕いていきます。

     

     

     

     

     

     それでもらちが明かなく、エンジンカッターで石をさいの目に切断し、さらに重機で砕いて大きな石は取り除くことが出来ました。

     

     

     (その石だけでもう一つ慰霊碑が作れるほどの、3トン級の石でした。)

     

     

     

     

     

     

     そしていよいよ慰霊碑を吊り上げる段取りです。

     

     スリングベルトとワイヤーをかけてシャックルで繋ぎ、15トン級の重機で吊り上げます。

     

     

     

     

     

     

     

     この持ち上がったところがハイライトでした。

     

     写真撮影は元総代・ボランティアで来山中の三上義弘様に負うところがほとんどです。

     

     

     

     大きな重機は細やかな動きが出来、スムーズに移動して行きます。

     

     

     5トン級の石でした。・・・

     

     

     

     

     

     

     

     

     そして新しい場所に鎮座いたします。

     

     

     水平、垂直、後ろ何センチ空け、下から何センチ上げるか、というきめ細かい位置取りの作業が精確に決まるまで繰り返し行われました。

     

     

     

     

     

     

     

     

     石自体は3m50センチ級の長さで、1m30センチは地中に埋まっており、それで安定がとれていた格好でした。

     

     

     

     

     

     

     立ち位置の微調整が進められます。

     

     

     

     

     

     そして見事、無事に奉遷が完了しました。

     

     

     入れた土はランマーで圧縮し、少々のことではびくともしないように万全が期せられます。

     

     

     

     

     

     

     はがされた芝生をまた集めて埋め戻す作業で完了です。

     

     

     作業は一日で終わりました。

     

     

     (当日夕刻午後5時からは夏越し大祓式の神事もありました。・・)

     

     

     

     

     

     

     

     

     神鹿・神猿は、金華山において遠くは神代の昔より生まれ育ってきたと云われる動物たちの類魂を集めた慰霊碑ですが、10月神鹿角切り行事祭において先立つこと前日には必ずこの碑の前において慰霊祭を執り行っています。

     

     

     

     

     新しい場所に鎮座ましましてもなお、参拝者の方々、勢子ほか諸々の来島者を見守る御魂たちであってほしいと願っております。

     

     

     

     

     このような形でも、復旧復興が少しずつ進んでおります金華山の現状です。・・・

     

     

     

     

     

     

     


    平成29年初巳大祭の終了

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       5月12日、初巳大祭閉扉祭をもって、平成29年の初巳大祭に関する一切の祭典諸神事は無事万端滞りなく終了いたしました。

       

       

       

       夏までの工事の目玉でもあります、旧売店前、参集殿前、裏参道入り口のアスファルト敷き工事の段取りも始められております。

       

       

       

       平成23年、震災の年の台風被害・山津波によって損壊した場所が6年を経た今になってようやく完全に修復されようとしています。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       男子寮付近から見える中庭の木は、アジサイのような花をつけ、名前は分からないけれども美しい花が咲くものがあり、毎年のことながら見る人の目を和ませます。

       

       

       

       

       「年年歳歳花相似たり、年々歳々人同じからず」、とも言われますが、同じ花でもそれは一年を通して必ず違った花であり、時期時期で目を楽しませてくれる植物の偉大な力と思います。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       そして初巳大祭も終了し、お祭りの非日常からまた日常へやってまいりました。

       

       

       かと言え、金華山は毎日がほとんど非日常ではありますが。・・・

       

       

       

       

       朝日の光はいつでもどこでも神々しいものです。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       G.W.中、全くと言ってよいほど降らなかった雨が今日はまとまって降っています。

       

       

       これは農作物にとってはまさに恵みの雨かと思われます。

       

       

       

       波浪によりお客様は少なくとも、初巳大祭の片づけは進み、また新たなるシーズンに向けて金華山は旅立うとしています。

       

       

       次の大きなお祭りは7月の龍神まつりですが、これまた一カ月以上かけて準備するお祭りであり、まだ少し先のことであります。

       

       

       

       

       5月、6月、新緑の候・青葉の候、金華山は海の涼しさもあって、夏に至るまで、最高のシーズンを迎えようとしております。

       

       

       

       山賑やかなこの頃に、是非ご参拝をお待ち申し上げております。・・

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       


      伊逹武将隊来山

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         1月22日(日)、宮交観光サービス扱いで女川より伊逹武将隊同行ツアー総勢45名様の参拝がありました。

         

         

         「奥州仙台おもてなし集団」伊逹武将隊より、伊達政宗、支倉常長、松尾芭蕉様が引率されました。

         

         

         祈祷殿にて昇殿参拝の儀を終え、拝殿・栖鳳閣・大広間とご案内さし上げ、外の銭洗い弁天のところでも賑やかに写真撮影が行われておりました。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         サービスで決めのポーズもとって頂きました。

         

         

         

         金華山と伊達家とのつながりも古くからあり、武将隊の方々もよくご存じでいらっしゃいまして、歴史ある地を巡って参拝されるのは意義あるものと存じます。

         

         

         

         おもてなし隊も復興支援で各地巡られていると聞き、有難い企画でした。

         

         

         これを機に金華山にも関心を持たれる方も増えられれば幸いです。

         

         

         

         有難うございました。!

         

         

         

         

         

         

         

         


        年の瀬に

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           平成28年丙申歳も早終わろうとしています。

           

           

           来る平成29年丁酉歳は良い年になりますでしょうか?

           

           

           

           それを良き年の美(うま)し年と祈るのが神社の役割です。

           

           

           お正月3が日は鮎川・女川から臨時便が多数出ますので各船会社にご確認をお願いいたします。

           

           

           来年元旦は、ともかく天候には恵まれそうです。

           

           

           

           

           

           

           

           

           平成25年正月近辺から金華山日誌のブログを始めてより、早4年が過ぎ、5年目となります。

           

           

           お伝えできかねた点、様々ございますが、ご容赦いただきたく存じます。・・

           

           

           本日も年末年始ボランティアとして、計17名の方々が金華山に入っていただいております。

           

           

           ブログとともに、今年で5年目となるご支援を頂き、有難く感無量です。

           

           

           

           先日茨城でも大きな地震が起こりました。東日本大震災の余震だそうです。

           

           

           

           災害の多い年でしたが、明年をまた良き年の美し年となりますよう、お祈り申し上げます。

           

           

           皆さま、何卒良いお年を、一つお迎えくださいますよう、心よりお祈り申し上げます。

           

           

           

           


          金華山灯台のことなど・・

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             今年11月1日に点灯開始から140年を迎えた「金華山灯台」が先日初めて報道公開されましたが、金華山には未だ新聞が届かないため、昨年の11月5日の同様の記事を以てお伝えするしかありません。

             

             

             金華山の南端に位置するこの灯台は、県内で最も古い歴史を持ち、明治時代、スコットランド人のリチャード・ヘンリー・ブラントンの主導で建設された御影石製の洋式の灯台です。

             

             1945年の太平洋戦争など、幾度もの困難を経て、修復されてきました。

             

             2005年まで気象台の職員が常駐しておりましたが、同年常駐を解消し、今は90日ごとに保守点検に本部職員が訪れています。

             

             津波被災の険しい海側の道のりを通って行くか、頂上から山越えして行くしかありません。

             

             

             ヘリポートもある、立派な建物です。 太平洋の洋上要所に建てられているため古来重宝されてきました。

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             また、それとは別に、今年同じ「石巻かほく」という地元紙で、1月1日から8日まで連載された「鯨の町」の軌跡という記事がありました。

             

             

             今年は最初の捕鯨会社が進出してからちょうど110年に当たっていたそうです。

             

             

             1906年、山口県下関市の東洋漁業が鮎川に進出すると、初年度に33頭を捕獲し、11年には国内12社のうち9社が牡鹿半島に進出、和歌山や高知など全国から労働者が流入したそうです。

             

             

             

             

             

             

             

             

             50年代後半に全盛期を迎えると、年間2000頭以上を水揚げし、旧牡鹿町の人口は1万3000人を超え、約8割は捕鯨と関連した仕事に就いていたそうです。

             

             しかし、70年代に入るとIWC(国際捕鯨委員会)の規制が強化され、87年、日本は商業捕鯨から撤退し町の人口も減少の一途をたどり、90年には約6800人まで半減していました。

             

             

             最盛期には、町には映画館やビリヤード場、キャバレーや飲食店も多くあったそうです。

             

             

             昼夜、鯨の解体作業が行われ、鯨の匂いが町に漂い、金華山観光と相まって、鯨まつりも石巻と同様の賑やかさだったといいます。

             

             

             

             

             

             

             1953年、第一回の鯨まつりが開かれ、海岸線は露店で埋まり、チリ地震津波があった60年に一度中断されても4年後に復活、71年に牡鹿コバルトラインが開通すると、牡鹿地区を年間70万台が訪れた年もありました。

             

             

             

             

             

             

             54年、町立鯨博物館が開設されましたが、商業捕鯨から撤退した後の90年、博物館は観光施設に生まれ変わり、「おしかホエールランド」として地域のシンボルとして多くの観光客を受け入れました。

             

             

             (ホエールランドは東日本大震災で被災し取り壊され、2018年度に再建される予定です。)

             

             

             

             

             

             

             

             

             東日本大震災で鮎川は約10メートルの津波に襲われ、700世帯のうち半数が全半壊、震災前1400人ほどあった人口は現在、約900人にまで減っております。

             

             

             

             「捕鯨の町」から「捕鯨文化の町」へと変貌してきた経緯を持ちますが、今なお、捕鯨文化の継承は望まれています。

             

             

             

             

             地域に歴史あり、ガレキが撤去され更地となった閑散とした土地にも、かつての営み、潤い、賑わいの紡ぎあった人々の思い出が、同じその場所の真上に生きてきた時間を経て、途方もなく隔たってしまった現在があります。

             

             

             

             それをいかに、今から、ここから、建て直して行くか、それはその土地に住む人々の元気に依るしかないかもしれません。

             

             

             

             しかしその元気も、皆高齢化していき、昔の街並みもイメージが忘れられ、「思い出は 消えそうだよ」という「くるり」の歌のように、しぼみがちです。

             

             

             

             しかし、金華山の歴史は、そうした栄枯盛衰を含めて、何度も復興を成し遂げてきたはずです。

             

             

             

             信仰の歴史は、ひそやかになったときほどご利益が高まり、そうしてまた多くの人が何かを求めてこの島を訪れます。

             

             

             

             そうした方々を受け入れるためにも、金華山の島としても神社としても、やはり復興は成し遂げられなくてはならないものと、再び確認いたします。・・・

             

             

             

             

             

             



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